
司太鼓の歴史
司太鼓はシカゴ地域で最大の、もっともアクティブなコミュニティー太鼓グループです。歴史的には若いグループのひとつですが、現在では年間を通して50以上のパフォーマンスを行っています。1996年に創立以来、司太鼓はコミュニティー太鼓グループ界に変革と新たなレガシーを築く推進力となってきました。
司太鼓は初代リーダーのヒデ吉橋(吉橋英律)が日本舞踊若柳流の師範だった若柳司友師宅を稽古場にはじめたグループです。当時司友先生は、日本舞踊とともに和太鼓の指導もされていましたが、吉橋は先生のお名前から一文字をとって「司太鼓」と名付けたグループを作り、学業のかたわら毎週の練習を始めました。
グループが軌道に乗ると、吉橋は、生徒と共に様々なコミュニティーイベントに参加することになりますが、なかでも「ヤオハン(現ミツワマーケット)盆踊りフェスティバル」は、司太鼓の最初の恒例パフォーマンスの場となりました。
司太鼓は、設立当時シカゴで初めての独立した太鼓グループでした。それまでのシカゴのグループは、地域の仏教会に付随して作られたために、参加メンバーもその仏教会の会員に限定されていました。これに対して司太鼓は、広く一般に門戸をひらいた最初のグループとして、現在の中心メンバーを含む多くの生徒をひきつけたのです。吉橋の成功を見て、吉橋の仲間たちも次々と自分のグループを立ち上げはじめました。こうしたグループのいくつかは、今も活動を続けています。吉橋は独立した太鼓グループ創立の先駆者として、シカゴの太鼓文化に大きく貢献したといえるでしょう。
2001年、吉橋はグループの活動を更に芸術的、文化的に高めていくことを目指して、Asian Improv aRts Midwest (AIRMW) との提携を始めました。AIRMWの創立ディレクターであるタツ青木(青木達幸)は、日本の伝統芸能に深く関わっており、彼が司太鼓のアートディレクターに就任したことで、グループを新しい目標に向かって牽引することが可能になりました。青木は東京の料亭に生まれ、4歳から太鼓と三味線を始めました。さらに10代のころには、芸能劇団の一員として活動した経験を持っています。この青木のユニークな経歴を背景に、司太鼓は日本の伝統芸能に根ざした美的感覚の継承という独自の方向性を見出していくことになりました。現在の司太鼓のパフォーマンス内容や活動は、この青木のクリエイティビティと指導力によって生み出されているものです。
AIRMWとの提携によって、司太鼓には国内外のアート界とのつながりも生まれ、活躍の場も広がってゆきました。吉橋はプロの音楽家とともに活動する数少ない太鼓奏者の一人として、旧ホットハウス、シカゴカルチュラルセンター、シカゴジャズフェスティバル、シカゴブルースフェスティバル、アジアンアメリカンジャズフェスティバルなどの舞台に次々と登壇しました。当時4歳から16歳の司太鼓の生徒たちも、吉橋とともにこれらの大舞台で演奏を披露しています。司太鼓は、コミュニティーの子供たちや若い世代を大きな舞台にあげるという点においても、さきがけ的存在となりました。
2004年以来、司太鼓は拠点をJapanese American Service Committee(JASC)に移して活動を続けています。2006年には吉橋が引退して日本へ帰国、その後を司太鼓初期から吉橋とともに活動していたエイミ本間(本間永実)が受け継ぎました。青木は本間を専任太鼓奏者として迎え、ここにシカゴではじめてプロの太鼓家が誕生しました。これまで、日本の伝統文化を専門として身を立てているのは、おそらく武道関係者以外にはいなかった中、司太鼓は太鼓奏者をプロの音楽家として確立させるという自身の立ち位置を明確に打ち出し、他のグループと一線を画したのです。本間は日米2ヶ国語のバイリンガルで、日米両国の文化に通じていましたが、これも他のグループにはいない存在でした。本間は青木の指導の下、プロの太鼓家としてサンフランシスコ、ポーランド、日本など国内外で活躍をしました。
2012年に本間は引退、司太鼓は日本から静岡県「鮎壺太鼓」のメンバーだった杉山典子を招きました。日本人太鼓奏者としてビザの発給をうけ、シカゴで活動するのは杉山が初めての快挙です。杉山は、司太鼓の運営補助とともに子供クラスの充実、拡大に力を注ぎました。現在司太鼓では、30名近くの子供を含む60余名のメンバーを抱えています。
「銀天界」は2006年に作られたパフォーミングユニットです。このユニットはティーンから成人までの上級レベルメンバーによって構成され、その多くは吉橋の指導していたころから司太鼓に在籍している経験者です。銀天界は、多様なレベルの生徒たちが出演するリサイタルやコミュニティーパフォーマンスを超えた、セミプロレベルの公演を行っています。本間引退後のすべてのパフォーマンスは、銀天界メンバーが中心となって牽引しており、2011年からは杉山もメンバーに加入しています。また銀天界オンリーのパフォーマンスとしてもこれまでにシカゴ大学インターナショナルハウス、ローガンアートセンター、ジェイプリツカーパビリオン、ハリスシアター、ステッペンウルフシアター、オーケストラホール、オーディとリアムシアター、シカゴ現代美術館等々、数々の場所で公演してきました。2010年以降、司太鼓は毎年11月にシカゴ市ダウンタウンで行われる「マクドナルド サンクスギビングデーパレード」にも出演し、毎回テレビ放映を通じて3万人の視聴者に親しまれていますが、これほど大きな舞台に出演してきたコミュニティー太鼓グループは、司太鼓以前にはありませんでした。
銀天界は、日本の芸能の伝統的な価値観を守り、発展させ、継承していく役割も担っています。日本の伝統芸能については、その西洋化や商品化を通じて大きな誤解がされてきました。日本の太鼓音楽も、洋式のドラムセットやドラムラインで演奏されるテンポの速いリズムパターンに重きを置いたものと一緒にとらえられがちで、またそうしたリズムを中心にした和太鼓グループも増えてきていますが、本来は歌舞伎や日本舞踊などの舞台芸術や庶民の祭り太鼓と同根の“間”が、大事な要素となっています。同じように“振り”も、からだの動きを表現するうえで大切です。この“振り”は、音楽と踊りと演劇の3要素が深くつながり合ったものです。
銀天界の演目には、1970年代に青木が日本で演奏していた曲目が多くあります。これらの曲は、リズムではなくメロディーや多彩なアンサンブルの響き、全体の調和を重視したものです。真に日本的な美学を体現する複雑で洗練された振りと曲調は、他のグループと大きく異なる司太鼓独特のものといえるでしょう。さらに司太鼓では、三味線と篠笛を用いた下座音楽の伝統を演奏に組み入れていることも、大きな特徴となっています。
司太鼓では、初期のころから、半被に貝の口結びの帯を締めるという伝統的な姿を取り入れて、視覚的にも他のグループをリードしてきました。現在では、1回のパフォーマンスに複数の衣装が用いられています。色柄違いの鯉口シャツ、半被、はちまきを曲によって使い分けるだけでなく、銀天界のメンバーは、演目によっては浴衣や着物を着用することもあります。また太鼓グループとしては初めて、日本舞踊で行われる“引き抜き”という衣装の早替えを、シカゴ藤間流・秀舞会の協力を得て取り入れたこともあります。
司太鼓がこれまで達成した功績は多岐にわたりますが、オリジナルCDの製作もそのひとつです。吉橋を中心とした2006年発表の最初のCDから、2011年年の本間と銀天界による第2弾、その後2013年の銀天界による第3弾CD、2017年には銀天界ユニット第4弾のCDを発表、2018年にはLPレコード盤も発表しています。司太鼓の歴史をこれらのCDによってたどることが可能になっています司太鼓は自作品の他、オノ・ヨーコプロヂュースのSKYLANDINGをはじめ数々のジャズ、ニューミュージックプロジェクトにも参加しています。
司太鼓は、2011年に起きた東日本大震災の復興支援のために、シカゴ市周辺で催される各種のイベントにも、積極的に参加してきました。2014年以降はデイリーセンターでの復興写真展のオープニングイベントや「絆」イベントにも参加しています。
司太鼓はまた。伝統文化の保持における言語の重要性をふまえ、日本語の使用を大事にしてきました。銀天界のグループリーダーである根宜清美、同キャプテンの希音青木はともに日米2ヶ国語のバイリンガルです。クラスでは日米両語による指導を行っています。また、日本語を学習している各種学校、大学には、ワークショップやレクチャー等の提供も行っています。
司太鼓は、国内外の音楽家、アーティスト達との共演も数多く行ってきました。吉橋、本間、青木希音の3名は、ポーランドでのマルタ国際シアターフェスティバルおよびメイドインシカゴフェスティバルに参加しています。またベーシストでもあるタツ青木は、自身の率いるミユミプロジェクトバンドの公演にたびたび司太鼓を登用しており、その結果、司太鼓はムワタ・ボーデン、エド・ウィルカーソン、ココ・エリーセス、ダグラス・ユワート、ニコール・ミッチェルといった有名なAACM のメンバー達との共演を経験してきました。さらにメロディー高田が主催するサンフランシスコの「源流アーツ・源太鼓」とは、姉妹グループとしての交流をもち、上級メンバーに対しては「ナショナル銀天界プロジェクト」として青木自ら演目の指導に当たるほか、メンバー同士が互いのパフォーマンスにも参加し合っています。
司太鼓にとって最も重要な公演は、毎年12月にシカゴ現代美術館で行われる「太鼓レガシー」コンサートです。このコンサートは、シカゴのコミュニティー太鼓グループ主催のものとしては最大規模であると同時に、同美術館のアーカイブコレクションにも加えられています。このコンサートは、太鼓音楽の伝統的な要素を保持しつつ、同時に現代の音楽界のなかで発展させた形も見せるものとなっています。2013年には、「リダクション」と銘打った夜の公演が加わり、通の音楽ファンに向けた前衛的なステージを発表しました。これはその後の「太鼓レガシー」コンサートでも、「リダクション」シリーズとして続ける人気パフォーマンスとなっています。
「太鼓レガシー」コンサートには、毎回国内外から豪華なゲストアーティスト達が出演します。国際的な三味線奏者である稀音家千鶴師は、ここ数年来、毎年日本から駆けつけて下さっています。同じく日本から梅屋貴音、福原百恭両氏も来演されます。地元シカゴ藤間流の藤間秀之丞師、藤間淑之丞氏、サンフランシスコからはメロディー高田と源太鼓また前述のAACMメンバー達に加えて、ハミッド・ドレイクとマイケル・ジラング、銀天界メンバーの青木永絃などが参加しています。
この10年ほどの間に、司太鼓はコミュニティー太鼓グループとして可能な活動の場をこれまでのものから大きく広げ、コミュニティー内にプロフェッショナリズムを確立し、維持発展させる先導的な役割を担ってきました。これは司太鼓だけがもつ伝統との直接的なつながり、美学があってこそ可能となったことです。司太鼓は、これからも音楽を通じて、日系コミュニティーにとっての文化的ルーツの継承、および日本文化への理解を深める活動を続けていく所存です。
Tsukasa Taiko’s Staff Members